2006.01.17 Tuesday
11年前・・・
阪神大震災から、今日で11年が経ったんですね・・・。
現在、神戸は一番状況がひどかった場所に暮らしている私としては
とてもとても人事ではありません・・・。
当時はまだ実家(大阪)にいたので、無事にすみました。
でも、親戚は震災の真っ只中にいたので
母がタンクに水を汲んで、何時間もかけて持って行ったりしてました。
当日、私は怪我は負わなかったものの、
部屋の中はグチャグチャ、TVの画面(ガラス)も割れて
本棚も倒れ、靴がないと歩けない状態でした。
(あれから靴は枕元に置いておこうと、思いました。)
それでも、会社に行く準備をして出かけたのですが
交通機関は全くストップ。連絡で自宅待機を言われ、家でTVを見ていたのですが
時間が経つごとに、増える死傷者の数・・・。
まるで、映画を見ているような、戦争の後の様な焼け野原。
本当に怖かったです。
当時勤めていた会社は、建築機材を扱う会社なのですが
社長宅が兵庫県にあり、震災を受けたこともあって
被災者に無料で、ブルーシートやタンクなどを提供したりしてました。
あれから11年・・・。
未だに記憶にしっかりとしみついています。色褪せる事はありません。
ただ、本当に酷い災害でしたが、人々が助け合い協力しあったという
あたたかい話もありました。
人間同士、最悪の状態であるとき、本当にぬくもりが大切に感じられます。
いつまでも、そんな気持ちを皆が忘れないで欲しいと思いました。
現在、神戸は一番状況がひどかった場所に暮らしている私としては
とてもとても人事ではありません・・・。
当時はまだ実家(大阪)にいたので、無事にすみました。
でも、親戚は震災の真っ只中にいたので
母がタンクに水を汲んで、何時間もかけて持って行ったりしてました。
当日、私は怪我は負わなかったものの、
部屋の中はグチャグチャ、TVの画面(ガラス)も割れて
本棚も倒れ、靴がないと歩けない状態でした。
(あれから靴は枕元に置いておこうと、思いました。)
それでも、会社に行く準備をして出かけたのですが
交通機関は全くストップ。連絡で自宅待機を言われ、家でTVを見ていたのですが
時間が経つごとに、増える死傷者の数・・・。
まるで、映画を見ているような、戦争の後の様な焼け野原。
本当に怖かったです。
当時勤めていた会社は、建築機材を扱う会社なのですが
社長宅が兵庫県にあり、震災を受けたこともあって
被災者に無料で、ブルーシートやタンクなどを提供したりしてました。
あれから11年・・・。
未だに記憶にしっかりとしみついています。色褪せる事はありません。
ただ、本当に酷い災害でしたが、人々が助け合い協力しあったという
あたたかい話もありました。
人間同士、最悪の状態であるとき、本当にぬくもりが大切に感じられます。
いつまでも、そんな気持ちを皆が忘れないで欲しいと思いました。